《私の本棚 第218》   平成27年3月号

     「二十代の自画像」    佐伯 一麦(かずみ) 著

 本名、佐伯亨。私小説作家としての地位を得ています。図書の2014年3月号に掲載された短文です。
この中で氏はゴッホ、寺田寅彦、萬鉄五郎、松本俊介達を登場させています。佐伯氏は小説 「渡良瀬」 を二十年かけて完成させましたが、その過程で鏡に映るような自分の心象を見つめ直し、その心象を客観的に捉えることができたと述べています。その前置きとして、画家達が自画像を描いたときの葛藤を考察しています。ゴッホは多くの自画像を残していますが、その中には弟のテオを描くのに、敢えて鏡に映った姿を描いたと推測されるものがあるようです。
 寅彦は自画像を描いたときの事を次のように述べているということです。
「この初めての自画像を描くときに気のついたのは、鏡の中にある顔が自分の顔とは左右を取りちがえた別物であるという事である。これは物理学上からはきわめて明白な事であるが写生をしているうちに初めてその事実が本当に体験されるような気がした。衣服の左前なくらいはいいとしても、また髪の毛のなでつけ方や黒子の位置が逆になっているくらいはどうでもなるとしても、もっと繊細な、しかし重要な目の非対称や鼻の曲がりやそれを一々左右顛倒して考えるという事は非常に困難なことである。要するに一面の鏡だけでは永久に自分の顔は見られないという事に気がついたのである」
 更に続いて、こんな感想を述べています。「不思議なことにはこのように毎日見つめている絵の中の顔がだんだん頭の中にしみ込んで来てそれがとにかく一人の生きた人間になってくる。それは自分のようでもあるしまた他人のようでもある。時としては絵の顔の方がほんとうの自分で鏡の中がうそのような気がする。特に鏡と画面から離れて空で考える時には、鏡の顔はいつでも影が薄くて絵の顔の方が強い強い実在となって頭の中に浮かんで来るのである」

 私は絵を描く才能はありませんから、先人をなぞることはできません。しかし、同じ様な思いを常々感じています。それは洗面所で鏡に向き合う時です。鏡に向き合って身だしなみを整えているとき、これなら人様と向き合っても大丈夫かな?と思える自分がそこにいます。しかし、写真を撮ると全く違う自分が存在します。人に撮って貰っても、腕を伸ばしてシャッターを押しても、鏡に映る自分を撮影してもそれぞれが違う自分です。実際の自分は他人から見るとどう見えているのか分からなくなります。

女性達も鏡に向かって化粧をしている自分は、何層倍も美しく見えているのでしょうか? 失礼!。
 
ハクモクレン、あんな本こんな本





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