平成28年5月3(火・憲法記念日) 4:30 起床 昨夜は少し雨が降っていました。静かで広く気持ちの良い場所です。右手前には道を挟んでローソンもあり何かと便利でした。 |
道の駅石鳥谷 |
昨日は珍しい車を見ました。隣に駐車した高松bフ軽トラック、行商の様な幌が荷台に設置されています。チラッと見えたのですが、幌の横にチャックで開閉する小さな出入り口が付けられていて、そこから乗り込むとベッドが設えてありました。多分独り身を楽しんでおられるのでしょう。私も似たり寄ったりですがね・・・。 さて、今日は遠野から釜石、少し海岸沿いを南下して気仙沼から内陸の道の駅かわさきへ向かうコースを取ります。約220qです。ローソンで日経新聞朝刊のレシートはあるのですが食べ物のレシートが無い。盛岡で買ったパンが残っていたのでしょうか。途中で道をどうするか迷った記憶からすると、花巻方面へは行かずに地方道を紫波へ向かいそこからR396に入ったようです。早朝でもあり急ぐ旅でもなし気楽に制限速度いっぱいで走っていました。後方に何台か続いているのはわかっていますが、さりとてむやみに速度を上げるわけにもいきません。途中で宮守橋梁の標識が見えたので一端は右折しましたが,同じ道を走らなくてもいいかと又もとの道へ戻りました。 宮守橋梁というのはご存じの方も多いと思いますが、宮沢賢二の銀河鉄道の夜のモデルといいますかロケ地になっているようです。 |
2014年撮影の宮守橋梁 目の前をデザインされた蒸気機関車が走りすぎるのを見ましたが、乗って見たいですね。 発車するときのガタンという軽いショックが味わいですね。かつて貨物列車を運転していた人の話によると、スタート時は勢いをつけて思い切りよく発車しないと進まないんだそうです。で、自然とショックを伴う発車になるということです。 ナイトクルーズ動画も存在するようです。 |
遠野の少し手前に南部曲り家の千葉家住宅がありますが、現在は修復中とのことで閉じられていました。道の駅遠野風の丘に着くと随分混み合っています。連休中で何かと催しがあり、準備で忙しそうでした。こんな状況なら珍しくもないので早々に退散します。 バイパスを進むとGSがあったので給油。08:24 38リットル満タン。旅をしている間は特にそうなのですが、なるべく半分を切らないうちに給油をするようにしています。何処で何があってもスタンドのあるところまで走り続けられるようにという事です。こうして書いていると少しづつとりとめの無い当時の事を思い出します。JAのGSが左側にあったこと、比較的直線道路が続いていたこと、先客に地元の女性が軽自動車に給油していたこと、出て暫く走ると道が分かれて左へ進んだこと、等など。もう二ヶ月以上前の事なのによく思い出せるなと不思議です。大丈夫だとは思うのですが、最近固有名詞を思い出せない事がよくあります。先日もTVのクイズ番組を見ていて、正解のイメージは湧いてくるのですが、人に伝えられない。真っ黒の富士山の版画を見ただけで作者の顔は浮かびましたが、棟方志功の名が出てこない。ほらあの日本のゴッホ。おだば日本のゴッホになると言った人。と、ほら・あのという言葉の連続。ウーン自分に苛つくね。ほらあの歌手。元銀行マンでシクラメンで銀行に残って居れば頭取になったであろう人。シンガーソングライター。・・・、小椋佳が出てこない。特に初恋の人なんていないから、これは出てこなくて普通で安心。でも、若いときから昨夜の食事メニューが出てこなかったから良いんでしょう。 話を元に戻して、R283を釜石に向かうのに左ルートを取ったのには理由があります。以前自転車旅のルートを検討している時、右か左か調べていました。右は新しく付けられた道路で道幅も広く勾配も比較的緩やかです。左は勾配がやや強く狭い仙人トンネルがあります。もう自転車で来ることは無いかも知れませんが、右ルートは車で走行済みですから左ルートを選択しました。 いやー良い!。花はほぼ終わっていましたが山桜街道で、空気は澄み渡り何とも言えない景色です。秋ならもっと良いかも知れませんね。 |
仙人トンネルを 釜石方面へ出た所 |
またいつか来る日があるかな?どうかな?なんて考えながら休憩をしていました。 |
東北地図はこちら |
更に下るとJRの駅がありました。トイレも借りたくて停車しましたが、そんな事よりもいい雰囲気の駅です。 |
この山間に長いホームの立派な駅です。陸中大橋という駅でした。銀河鉄道の蒸気機関車に乗ると、この駅を通るのでしょうね。トイレの事を忘れてぶらぶら散歩。道の駅釜石仙人峠で釜石ラーメンを食べました。9:26ですから朝食だったか昼食だったか?。 |
世界遺産という大きな 横断幕があったので 近くにいたガードマンに 尋ねると、山の向こうだと 教えてくれました。 つまり今回は行けない。 |
釜石は製鉄で有名ですがそういった建造物を見た事が無い。地図には「鉄の歴史館」と表示がされているので立ち寄ってみます。建物は坂道を登った所にありました。展示物を見学して屋上に上がると下の写真のような景色が広がっていました。 |
近くにいた年配男性に話しかけると、この地に居た親戚の方も津波で亡くなられたとのこと。右手前方のうす青色のシートは瓦礫ではないそうです。普段は少し離れた地に住んでおられるようですが、今日はお孫さん連れでした。ここへ来ると思い出して胸がふさがると仰っていました。本当に皆さん癒えることは無いですよね。 |
自分の写真は掲載しない建前なのですが、 面白い鏡があったので例外です。 |
折角ここまで来ましたから、碁石海岸に寄りたいと思います。途中で震災にもめげずに頑張っているスーパーで2Lペットボトル3本とチョコレートを仕入れました。碁石海岸への途中「星座石」という看板があり、ついついそちらへ。伊能忠敬がこの地で測量をした顕彰碑がありました。しかし、どこもかしこも復興道半ばですね。 |
折角ここまで来ましたから、碁石海岸に寄りたいと思います。途中で震災にもめげずに頑張っているスーパーで2Lペットボトル3本とチョコレートを仕入れました。碁石海岸への途中 「星座石」 という看板があり、ついついそちらへ。伊能忠敬がこの地で測量をした顕彰碑がありました。しかし、どこもかしこも復興道半ばですね。 |
碁石海岸は何かそれらしい石でも落ちているのかと思いましたが、気づきませんでした。和歌山県熊野市の那智黒は有名なのですがね。でも充分堪能できる景色が広がっていました。なん十年も前なら泳いだり潜ったりして1日中遊べたでしょうね。 |
もっと時間を取れれば 良い場所ですね |
さて、碁石海岸を後にして高田へ向かいました。道の駅高田松原は荒れ果てて放置 (遺されて?) されていました。遠くに小さく一本松かと思われる松らしきものが見えました。道の駅を離れると大勢の人が一本松を目指して歩く交差点にさしかかりましたが、そのまま気仙沼へ進みました。 ↓恐らくこれが1本松でしょうか |
黄色フェンスの縦棒の 右から三本目後方 |
R284の大船渡線を今日の宿泊地 「道の駅かわさき」 へ向かいます。その前に途中で日帰り入浴。そこで教えてもらったコインランドリーへ洗濯に行きました。洗濯も時間がかかるものですね。時間を潰すにしても困ります。古新聞を読み返したり観光パンフレットを眺めたり、岩波の 「図書」 を読んだりして時間を潰します。小さなスーパーに隣接してありましたから、内部に入ってウロウロしたり、買い物の人が入れ替わり立ち替わりやってきます。その後道の駅すぐ手前のローソンで新聞・菓子パン・肉野菜炒め弁当を買ったのが19:14でした。今日も比較的早く着きました。ここはGS、コンビニ、レストランが近くに集まっており、トイレは極美で全体的に最高の部類です。 本日の走行 217q |
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