《私の本棚 第331》   令和5年12月29日 号

  わが人生に重なる五つの歌曲      雑 感
    自選集(自分用のCD)に録音した順で綴ります。

「転がる石・・・石川さゆり2002.03発表」
 何年ほど前だったか思い出せませんが梅雨の季節でした。石川さゆりさんのCD 「転がる石」 を聞くと何だかよくわからない変わった歌だと感じます。でも妙に気に掛かり繰り返し聴いていました。雨音がするので部屋を閉め切って音量を上げエンドレス再生に設定、ソファーに寝転がって数十回聴きました。突然、あっ!これは自分の事だと気づきました。完全に重なる訳では無く勝手なこじつけも含みますが、私の人生そのものを歌っているように感じて
中高生の頃を思い出していました。

    十五は胸を患って
    咳きこむたびに血を吐いた
    十六父の夢こわし
    軟派の道をこころざす

    十七本を読むばかり
    愛することも臆病で
    十八家出の夢をみて
    こっそり手紙書きつづけ

    ああ ああ
    ああ ああ

    転がる石はどこへ行く
    転がる石は坂まかせ
    どうせ転げて行くのなら
    親の知らない遠い場所

    怒りを持てば胸破れ
    昂ぶりさえも鎮めつつ
    はしゃいで生きる青春は
    俺にはないと思ってた

    迷わぬけれどこのままじゃ
    苔にまみれた石になる
    石なら石で思いきり
    転げてみると考えた

    ああ ああ
    ああ ああ

    転がる石はどこへ行く
    転がる石は坂まかせ
    どうせ転げて行くのなら
    親の知らない遠い場所

    転がる石はどこへ行く
    転がる石は坂まかせ
    どうせ転げて行くのなら
    親の知らない遠い場所

あんな本こんな本サイクリング、石川さゆり




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 この歌が自分に重なって不思議な思いを持ってからは、これまでなら聞き流していたような歌も心で聴くようになりました。


「人生の扉・・・竹内まりや2007.08発表」

    春がまた来るたび ひとつ年を重ね
    目に映る景色も 少しずつ変わるよ
    陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
    気がつけば 五十路を越えた私がいる
    信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
    どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

    I say it's fun to be 20
    You say it's great to be 30
    And they say it's lovely to be 40
    But I feel it's nice to be 50

    満開の桜や 色づく山の紅葉を
    この先いったい何度 見ることになるだろう
    ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
    ひとりひとり  愛するひとたちのために 生きてゆきたいよ

    I say it's fine to be 60
    You say it's alright to be 70
    And they say still good to be 80
    But I'll naybe live over 90

    君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
    長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

    I say it's sad to get weak
    You say it's hard to get older
    And they say that life has no neaning
    But I still believe it's worth living
    But I still believe it's worth living

 あんな本こんな本サイクリング、竹内まりや、造幣局、桜、あんな本こんな本サイクリング、竹内まりや、曽爾高原、紅葉、

 左)造幣局の松月桜


 右)曽爾高原の紅葉








 本当にそのとおりだなあと思います。20歳から90歳までを、振り返ってみたりこの先こう在りたいと願う心を話しかけてきます。思えば人生なんて大して長くはない。75歳になった私でも、過去の10年20年なんてついこの間のように感じます。60年の過去でさへも手を伸ばせばその先に浮かび上がって広がります。


「顧みれば・・・小椋佳2013.12発表」
 随分(5~6年)前の事ですが、夫婦でロームシアター京都(京都会館)へ歌を聴きに行きました。歌手が歌う生の姿を見ることは初めてで 恐らく最後かとも思います。 
(この時これも初めて
書道恩師杭迫伯樹先生の額を見ました・・・高校で3年間書道の授業を受けた恩師と言うと叱られそうですね) 
そこで聴いたのがこの ― 顧みれば ― でした。アッ!いい歌!。小椋佳さんは椅子に腰掛けて遺言のように歌っているんだろうと感じました。自分がお別れをするときに、その時まで口では言えなかったことをCD歌集の一曲に含めて録音しようと思った瞬間でした。コンサート終了後CDを買って帰ったことは言うまでもありません。

    顧みれば 教科書のない 一度限りの 人生を
    まあよく生きて 来たと思う
    友の支え 女性の救い 出逢いの恵み 数多く
    運良く受けて 来たと思う
    運命を 満喫したと 思われる今

    顧みれば 過ち挫折 一度ならずの 重なりを
    まあよく越えて 来たと思う
    力不足 才能超えて 果たせたことも 数多く
    心は充ちて 来たと思う
    運命を 満喫したと 思われる今

    楽しみ 悲しみ 笑いも 涙も
    生きていればこその 味わいと
    瞳綻(ほころ)ばせて 見晴るかす

    顧みれば 事故災いに 幾度ともなく 襲われて
    まあよく無事に 来たと思う
    人が見れば 名も実も得て 心豊かな 暮らし振り
    望み以上で 来たと思う
    運命を 満喫したと 思われる今

    楽しみ 悲しみ 笑いも 涙も
    生きていればこその 味わいと
    瞳綻(ほころ)ばせて 見晴るかす

    顧みれば今 込み上げる想い
    わたしの運命に 関わった
    全ての人々に ありがとう

 あんな本こんな本サイクリング、顧みれば、小椋佳



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 人生というのは、他人からみれば順風満帆に見えても、心の中には言うに言えない苦悩やその人なりの挫折もあるでしょう。なんでこんなに偶然解決したのかとか、あの時あの人があんな風に声を掛けてくれたから今が在るとか。自分の努力や才能だけでは為し得なかったことも沢山ある。ありがとうという言葉しかない。
 まさにこの歌を聴いたその時、私は小椋佳さんの 「引退」 という二文字が心をよぎりました。


「ヘッドライト・テールライト・・・中島みゆき2000.07発表」

    語り継ぐ人もなく
    吹きすさぶ風の中へ
    紛れ散らばる星の名は
    忘れられても
    ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
  
  ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

    足跡は 降る雨と
    降る時の中へ消えて
    称える歌は
    英雄のために過ぎても
    ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
    ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

    行く先を照らすのは
    まだ咲かぬ見果てぬ夢
    遙か後ろを照らすのは
    あどけない夢
    ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
    ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
    ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
    ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

 あんな本こんな本サイクリング、ヘッドライトテールライト、中島みゆき

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 人は皆自分なりに懸命に生きている。雨が降っても風が吹いても歩き続ける。自分の歩いた足跡なぞは瞬く間に消えてしまう。はるかな過去を振り返ってみれば、自分の夢はあどけないものだった。でも命ある限り未だ見果てない夢を追いかけて歩く。先を指し示す自分のヘッドライトと過去をうっすらと照らすテールライトが交差する。本当に人生というのはこのとおりですね。私も あれほど懸命に生きたと思う20代以降を思い出してみると、今となっては左程の事ではなかった。まだまだ自分の歩かなければならない道はいくらでもあると.......。
谷川俊太郎氏 の詩 「道」
 にも重なりますね。


「昴・・・谷村新司1980.04発表」

    目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ
    荒野に向かう道より 他に見えるものはなし

    ああ 砕け散る宿命(さだめ)の星たちよ
    せめて密やかに この身を照らせよ

    我は行く 蒼白き頬のままで
    我は行く さらば昴よ 

    呼吸(いき)をすれば胸の中 凩(こがらし)は吠(な)き続ける
    されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり

    ああ さんざめく名も無き星たちよ
    せめて鮮やかに その身を終われよ

    我も行く心の命ずるままに
    我も行くさらば昴よ

    ああ いつの日か誰かがこの道を
    ああ いつの日か誰かがこの道を

    我は行く 蒼白き頬のままで
    我は行く さらば昴よ
    我は行く さらば昴よ


 あんな本こんな本、サイクリング、転がる石、人生の扉、顧みれば、ヘッドライトテールライト、谷村新司、昴



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 この歌が発表されたのは私が32歳の時でした。自宅でテープを聞きながら時ときどき歌っていました。ここに挙げた五曲の中では最も古い歌です。歌を耳にすればまだ見た事もないモンゴルの草原が浮かんで来ます。名もない星も地球上のちっぽけな自分もいつの日か姿を消す運命にある。だけど生きている限り夢を持ち続けて歩いて行く。多くの人達が懸命に生きてきた道を、自分も同じ様に歩く。またいつの日かあの世 (その世?) の世界でお会いしましょう、そんな風に感じます。  2023/10/08 まさにこの歌詞のように旅立たれました。

 自分用CDを作ったのはいつの頃だったかは忘れましたが、60歳以降だったことは確かです。還暦を迎えて自分なりに過去を思い返していました。自分の身に若し思いがけず万一の事があれば、私を頼って下さっている方々に迷惑が掛からないようにと詳しいノートも作りました。時々BGMとして聞きながらそれらとこのCDを一緒にして置いてあります。愛車を運転中も聞けるようにしてあります。
 楽しい筈の青春時代の頃は、心の解放ができない暗い時代でした。転がる石にそのまま重なります。しかし投げやりにならず、偶然に出会った人達と仕事は、事務的な事は出来ないと思っていた私を、周囲の人達から見れば 私にとって何の利も無いように見える日常も、懸命に能力向上への道を歩ませてくれました。
まさに春がまた来るたび ひとつ年を重ね 目に映る景色も 少しずつ変わるよ と歌う人生の扉そのものでした。
 今になって過去を振り返ってみると、面と向かっては中々言えないお礼の気持ちが沢山あります。変な話しになりますが、この世の方々のみならずあの世のどなた様か判らない人達にも、ずいぶん
手を差しのべて戴いたと感じています。

 人生なんて長いようで短いというのは実感です。これからも私の歩を進めようとしている方向が正しいかどうか分かりません。人それぞれの生き方は交差しふれ合いながらも思いは様々です。同じ方向へ向かう人もいれば、微妙に異なる人や真逆の人もおられます。苦しんだ青春時代に自暴自棄にならずに進んだから今が在る。其の時の状況がどれほど苦しいものであったとしても、今思い返せば何と言うことの無い日々だったように感じます。自分を振り返ってみれば、大した人生ではありませんでした。しかしそれなりに努力もし、大いに助けて戴いた事に間違いありません。
 この五曲は 〔中学生までの自分〕 ・ 〔高校生から社会人になった5年間〕 ・ 〔転職後の25歳頃まで〕 ・ 〔26歳頃から48歳まで〕 ・ 〔独立自営後の今日まで と これからの生き方〕 にほぼ重なります

 CDの表面には、いつか来るその日にはエンドレスで、可能な限り長時間聴かせて欲しい旨印刷しました。私のその日その時にはこの五曲をエンドレスで聴きながら、―吾唯足るを知る― の心を忘れずに昴のように生まれ変わるために旅立つことができるならと願っています。
 




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