《私の本棚 第287》   令和元年11月9日号

    「裸の王様」   開 健 作

 1957年作。翌年芥川賞受賞。パニックに続く作品ですが、今度は鼠では無く自分の心を閉ざしている子供を描いています。しかしその背景にあるのは、何かしらの大きな権力や権威を少しばかり懲らしめてやろうという気持ちが見えます。
 主人公は商才の無い私、画塾の経営者と太郎という少年です。私は少年の画く絵を見てその心の中を理解します。およそ子供らしくない、友達や景色がなくて人形の絵ばかり画きます。太郎の父太田は絵の具会社を経営し、四六時中商売の事しか頭にありません。その妻、太郎の継母は教育熱心なのは良いのですが、母親と言うには若すぎて子供の成長に合わせて接する事ができません。
 何とか太郎の心を開かせてやろうと腐心し、次第に努力が実りつつありました。デンマークと連絡を取り、子供の絵画展を行う手はずをつけたのですが、商才に長けた太郎の父親が間に割り込んできます。選ばれた審査員達も、長いものには巻かれろとばかり太田にすり寄ってきます。主人公の私は審査会場で最後にそっと太郎の絵を紛れ込ませて皆に評させました。大人の真似をした上手さはありませんが、裸の王様を日本風に理解し描いた作品は良く描けているし、心の成長が見て取れます。全員が笑いものにした作品は太田氏の子供の絵であることを最後に明かすと、汐が引くように審査員達は会場を後にします。
 何かをもの凄く考えさせられるような作品ではありませんが、こういう作品もあるんだと感じました。昨今は似た話で何かと世間を騒がすようなニュースがあります。金に飽かせて相手がいつの間にか泥沼にはまり込むような薄汚い手段を用いたり、威圧的な言葉で相手を萎縮させたり、はたまた、なかなかの顔つきだけで押し通したりと、この世はそう言う意味合いでは何ら進歩がないようです。そんな薄汚い手を使うのは許せない事に違いないのですが、野放しにしている方もどうかと思います。 下の写真でも見てお互いに心に爽やかな風を通しましょう。
秋色の大山、あんな本こんな本 



 秋色の大山
 (1709m)

あんな本こんな本、鏡ヶ成、烏ヶ山、象山 



 鏡ヶ成
 左、烏ヶ山(1448m)と
 右、象山(1085m)

 
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