《私の本棚 第275》   平成30年11月23日号

    「冬の宿」    阿部 知二 作

 1936年作。現代にあっても、「うんそんなこともあるよなあ」 と読者のこころに訴えてきます。
主人公の私は伯父の家に世話になりながら学生生活を送っていましたが、何となく息苦しさを感じて下宿先を探します。偶々見つけた霧島家の二階に間借りをし、その家族と自分との寒々とした関係性を表現しています。
霧島家の主人は元は富豪の息子でした。しかしその放蕩の結果落ちぶれて国の官庁門衛として僅かの給金で生活をしています。(現代は高給でしょうが当時は薄給でした) 。堂々とした体躯から、近所では高級官僚かと思われていましたが、化けの皮が剥がれても虚勢は張ったままです。給金で生活をしていると書きましたが、実際の生活を支えているのは妻です。主人はほんの少しばかりの金があれば、酒と女と賭け事に使ってしまいます。敬虔なクリスチャンである妻は、苦しさを感じる度に賛美歌を歌いながら寝る間も無いほど内職に励んでいます。しかし、それとて二人の子供を育てるには十分ではありません。夫は気に入らない事があれば妻を殴ります。今で言うDVです。親戚の、別れろという忠告も子供を預かって育ててやるという申し出も断り続けてきました。この家族の中で下宿生活をしている私は、いつの間にかこの主人を好ましい人物に感じるようになったり、奥さんに対しては時に女性を感じてしまったりしながら、一家を平穏にまとめてあげようという気持ちよりもご主人と奥さんの間で適当にふらついています。自分にも許嫁に近いような女性がいますが、その間に割って入ってきた男に対しても優柔不断です。
 遂に私は霧島家から出て行く決心をします。私が出れば、上司を殴って解雇された霧島家の家計は破綻するのは目に見えていますが、それは他家の問題です。一旦伯父の家に戻った頃、自分の彼女が闘病の結果亡くなり、霧島家は子供がそれぞれ親戚に引き取られ、夫妻は自宅を人手に渡して最貧者達が済む地域へ手荷物一つで越していきました。
  他者に対してこれといって何もしてあげられない。実際、こういう事は社会生活のなかでいくらでもあるでしょうね。
 
下北の春、あんな本こんな本




 下北の春

 恐山付近

 
 
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