《私の本棚 第260》   平成30年1月1日号

   正月閑話 「あまるあれこれ」

【あまる】

 あまる とか あまりという言葉を辞典で引いてみると、余分・度をこした・過分・不要・多すぎて残るなどがでてきます。最近はそれこそあまり使わなくなりましたが、余り物に福ありという言葉もあります。ものを大切にしなさいという心でしょうか。
「手に余る」 と言えば仕事と続き、体力知力を越えた仕事だと分かります。
「目に余る」 は行状につながりますが、身近では起こってもニュースにもならないようなマナーに関する困り事でしょうか。「言葉に余る」 といえば他人様のご厚意ですね。中には 余り者=御しがたい人 という、運転中の煽り行為とその結果被害者本人やご家族の心中を察するに余りある状態を思い起こさせる事件もありました。
 昨年も目にあまる事件事故や避けようの無い自然災害と、つらいニュースの多い一年でした。皆さんのご家庭でも、今年は穏やかな幸多い年になりますようにと願いながら、おせち料理を召し上がっておられると思います。 こういうことをいうと年寄りの繰り言と受け取られかねませんが、子供の頃は年に一度限りご馳走のオンパレードでした。この年になって記憶は薄れているとは言え、近年出来合いで売られている立派な物とは比較にならない程度の家庭料理だったと思います。がしかし、そのご馳走を用意するのにどこの家も女性陣は年末には睡眠不足を堪えての奮闘でした。料理の仕上げ、美容院、銭湯、紅白歌合戦、NHKの行く年来る年と場所を変えて大入り状態でした。
 お餅も家でついていました。二十九日は避けて、早朝あちこちからぺたんドンぺたんドンといった餅つきの音が聞こえてきたものです。子供は暇ですから我が家でついていない時によその餅つきを覗きに行くと、つきたてのお餅にきな粉や大根おろしを付けて振る舞ってくれる人もいました。三が日どころかその後も、料理が残っている限り飽きもせず三食おせち料理で、余さず完食です。
 様変わりした今の子供達はどうでしょうか。お節料理は全部手作りという家庭はずい分減っていると思います。恐らく子供達だけでは無くこんなことを書いている私も、三日目あるいは二日目かな?にはそろそろ何か違うものが食べたいと思うようなご時世になりました。違う料理、つまり日頃食べている普通の料理がご馳走に感じるということです。そうなるといきおい、足りて猶余りある状態になり、おせち料理はあまるものが出てきます。勿体ないことですがいくらかはお腹に入らないままになってしまう飽食の時代です。

【身にあまる】

  お正月から辞典を持ち出して何んだか面倒くさい話しになりました、少し気分を変えましょう。私も皆様方と同様に年賀状を書き、いや、近年は作成し年末には投函するという繰り返しを五十数年間行ってきました。相手様に応じて全く異なるレイアウトを工夫して、裃を身につけたようなものや楽しんでいただけそうなものをと分けて作っています。楽しんで戴けると言っても、自分の基準ですから相手様はそうでも無いかもしれませんが、取り敢えず自分は楽しみながらやっています。
 昨年は私の記念すべき年に当たりました。この記念すべきというのも私一人だけの意味合いですから、賀状を受け取っていただく方々には何の意味もありません。
 正月も過ぎいよいよ暖かくなってきた頃、私身勝手な記念と感謝を何かの形にしてお伝えしたいという思い、足かけ三年来の創案から制作の結果をお贈りすることができました。後日、お礼のお電話や葉書・封書を頂戴しました。私はお礼を言ってもらうような事をしたつもりはなく、どちらかと言えば自分自身の気持ちを安んじる効果が大きかったと思います。ただ、お贈りするときに添えた手紙には、印象に残っている相手様の面影を辿りながら感謝の気持ちを綴りました。いただいたお手紙や葉書は何度も読み返しました。今となっては手の届かぬ過去のお互いに若かった頃が懐かしく、男女の別なく何気ない日常のふれあいと共に、かつてのまま活き々々とした姿表情で浮かんできます。
 その内容を逐一皆様にお伝えすることはできませんが、うち一通の手紙は私の人生最高の宝物になりました。長いサラリーマン人生とその後の生活を通して、これほど心の底に響くお言葉は初めて頂戴しました。便箋一枚半のお手紙は、その文字と文面からかつての佇まいとお心持ちが浮かび上がってきます。私を直視していただいて、褒め言葉ではなくある意味では叱責の韻をも含みながらも、私の心と生き様を全て受け入れて下さいました。私はこのお手紙を読んで、お詫びの気持ちと感謝の気持ちとが一つになり、次の瞬間途方もなく有り難いという気持ちに満たされました。長い年月を経て戴いたこのお手紙により、何処かに申し訳無い気持ちをも引きずり淀みのあった流れとその面にかかる薄い霧は、忽ちにして澄み空が晴れ渡るような清々しい気がしました。

 まさに生涯一度------身にあまるお言葉-----とはこのような事を指すものだと思います。
 
奥入瀬渓流、あんな本こんな本




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 (奥入瀬でしょうか?)
 

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