《私の本棚 第252》   平成29年7月30日号

     「竹取物語」  岩波書店・日本古典文学大系より

 平安時代初期、作者不詳の作品。かぐや姫という題の絵本で子供の頃に親しんだ記憶があります。解説には、「作者は恐らく一人の男性で仏典や漢籍にかなりの素養を持ち、和歌の才能も有した人物が推定される」 としています。この物語より時代が下がって後、源氏物語が執筆されました。

 竹取物語の冒頭に、三室戸齊部 (みむろどいんべ) のあきたを呼びつけて、「なよ竹のかぐや姫」 と命名してもらったとあります。つまり、三室戸 (京都府宇治市) に住む 「齊部あきた」 氏が名付け親です。ご承知のように源氏物語には宇治十帖があります。平安時代は貴族の別荘が多くあったと言われていることから、私の勝手な想像ですが、竹取物語の作者も貴族或いはそれに近い人物であったと思います。
 ついでですが、時代は 「竹取物語」 → 「源氏物語」 → 「平等院鳳凰堂建立」 という流れになるでしょうか。
 子供も良く知っている物語ですから、読書感想といっても格別はないのですが、この歳になって改めて気づいた事を書きましょう。
姫があまりの美人ゆえ、大勢の殿方が言い寄って来ます。断り文句の代わりに無理難題を吹っかけます。その中の一人、いそのかみの中納言には 「燕が持っている子安の貝」 を取ってくるように依頼。中納言は家臣を総動員して手に入れようとしますが叶いません。それ以後、思うに違う事を 「かひなし」 = 貝なし = 甲斐なしと言う様になり、すこしうれしい事を「かひある」と言う様になったとか。
 結びの段には、かぐや姫が月に戻るとき、育ての父母に 「不死の薬」 が入った箱を残します。老夫婦はかぐや姫からの手紙と薬を、姫に片思いしていた御門に渡して欲しいと、頭中将に言伝ます。御門は駿河にある天に一番近い山の頂で、文も薬も燃やせと命じます。それ以後その山を 「ふじの山」 と名付けたとしています。これに関しては、富士山の呼び方がこの話に近いのかどうか、想像することもできません。しかしよくできた話だと思います。当時、月を眺めることは良くない事と言われていました。その月に絶世の美人が住んで居たのですから、かなり不思議なお伽話だったと思います。
 
三室戸寺、蓮華、あんな本こんな本



   三室戸寺
 
源氏物語宇治十帖、あんな本こんな本





  源氏物語の風景
 
あんな本こんな本、宇治橋から上流を望む





 宇治橋から上流を望む




 橋は「朝霧橋」



 画面右 木立の奥が平等院




 「浮舟入水



 

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