《私の本棚 第220》 平成27年5月号
この津軽じょんから節と翌年の津軽世去れ節で直木賞を受賞しています。 「茂平先生」 という実在の人が主人公ですが、そう言われても分かる人は少ないのでしょうか。私の知っている名前は高橋竹山・吉田兄弟・上妻だけです。茂平先生は晩年、弘前市外れにある小さな食堂を営んでいました。まだ若いある年の三月、盲目の旅芸人ボサマと出会います。その音色に魅せられた茂平は近隣の村々を一緒に回ります。どうしても三味線が欲しくなり農家の三男坊であととりでは無かったことも重なって、三味線を買ってもらったのです。練習に練習を重ねた夏祭りの時期、弾き比べをしてついに優勝します。 親に叱られて勘当されてから、旅芸人と一緒に各地を回りました。しかし茂平はその演奏に熱中する余り舞台で卒倒する事が度重なります。あるとき目覚めた茂平は、自分を失わずに迫力がある演奏ができないことで、何もかもが恥ずかしいという思いを強くし、引退をしました。彼はその知識の豊かさから茂平先生とよばれていました。人の評によると 「竹山は弾く、木田林松栄 (りんしょうえ) は叩く、茂平は熱狂」 とのことです。 この本を読んでいると津軽三味線の聴き方も参考になりました。「まず一の糸をバーンとたたいて、さわりをつける。そすて、二の糸、三の糸に移ってからも、ちねにこの一の糸のさわり (余韻) を切らさないように引っぱっていなければ駄目 (まいね) んだ。ンだからハア、上手だ人の三味線は、二の糸、三の糸を弾いても、ずっと一の糸が共鳴して唸り続けているもんだンだ」 生演奏は一度しか聴いたことがありませんが、今度機会があれば心して聴くようにしたいと思います。 この茂平先生は昭和六年一月二十日の早朝、青森市古川の凍えたすきま風の吹き込む物置小屋 (或いは厠) で、誰にも看取られることなくこの世を去っていて、葬儀も青森市が 「無縁仏」 として執り行ったと伝えられています。 |
龍飛崎 帯島と 階段国道(左端) |
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