《私の本棚 第154》   平成22年1月号

    「春の雪」    室尾 犀星 作詩

                   飛騨 白川郷 合掌造り

飛騨、白川、合掌造り、あんな本こんな本 
雪のふる日は
くだらない人々の心も
また喧しい子供らも静まると見える
みなだまってゐる
雪のふりつもるおとを聴いてゐる
梢からは
たまりかねて雪がはねられる
あたたかい音がする
羽音のやうに柔らかい音である
私は机にむかってゐる
降ってはつもりつもっては降る
はげしい雪をながめて居れば
自分で降りながら喜んでゐるようだ
決してさむくはない日
この美しい白鳥のむらがりは
私の窓をうづめてたはむれる

 
 この詩に読後感想は無用だと思います。私は雪国で生活したことがないので実感としては持ち合わせていません。しかしこの詩を読んでいると、一向に寒いという感じになりません。雪は周囲の物音を吸収して何となく静かになるというのは分かります。子供の遊びも勢い家の中になり、人の心もいろいろな煩わしい思いは降り積もる雪に吸い取られていくような気さえします。雪の降る音というのはサクサクというような心に染み込んでくるような感じが耳の底に残っています。こんな暖かい雪はこの詩で初めて経験しました。

 話が飛びますが、津軽三味線は、私は高橋竹山の三味線が好きです。津軽三味線というのは雪に降り込められた家の中で、この詩のように暖かい思いで聴くものであるというのが私の持論です。雪国育ちで無い私が言うのは間違いかも知れませんが、雪に閉じ込められ一歩外へ出ると地吹雪に曝されるような過酷な状況下では、この詩のように竹山の三味線のように自ずから忍耐が養われるのが普通であると思っています。

     雪に埋もれた家の中では曲弾きのような祭り騒ぎはあり得ない、そう思っています。
 
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