《私の本棚 第280》 平成31年1月3日号
正月閑話を書き終えて、何か読むものをと探していて偶然手にした本がこれでした。明治44年生まれ。昭和24年発表の作品。私の亡父が明治41年生まれで私が昭和23年生まれですから、何となく時代背景も重なるような気がします。不惑を越えた主人公の私は、かつて学生時代に土佐清水で経験したことを回顧語りします。貧困の中でも努力し東京で学生生活を送っていましたが、母を亡くした後無性に死にたくなり、僅かばかりの身の回り品を処分した金を持って、雨の降りしきるなか清水の「商人宿」と看板を掲げるお遍路宿に辿りつきます。その宿には先客がいました。一人は行商の薬売りで、いま一人は春と秋にこの宿から遍路巡りに出立する老人です。共にその出身地は不詳で、単にこの宿で邂逅したに過ぎません。日頃の精神的疲労から、起きるわけでなく寝ているという事でも無い日を1週間あまり過ぎた頃、死への思いを抱いて雨の中を岬へ向かって歩いていました。しかし、崖の上に立った私は立ちすくみ宿へ戻ってきました。女将さんも二人の老人も全てを悟った上で介護をしてくれます。その中で二人の老人から、命を大切にせよとやんわりと諭されました。薬売りは私が金を持っていないことを承知で丸薬を飲ませ続けてくれます。相部屋となった私の枕元で、二人の老人はふんどし一丁で老いた二匹の痩せ鬼が酒盛りでもするように酒を交わしながら将棋を指し、そのうち時には涙ぐみながら民謡を歌います。二人とも辛い過去を秘めて今を精一杯生きているのです。八十を過ぎた遍路の老人は戊辰戦争の生き残りで、辛酸を舐め尽くしているような男でした。藩士三千人の仇を討ちたいと思いながら死にたくても死ねずに、「あれは何もかも夢だ」
と自身に言い聞かせています。 回復した私はそれでも尚、崖から飛び降りようと考えて雨に打たれたことから収まっていた胸の病気が再発し、宿賃も無いまま逗留します。縁あって宿の娘八重と一緒になり東京で暮らしましたが、八重は10年後に胸の病で亡くなりました。久しぶりに八重の墓参りに清水を訪れた時、八重の弟は特攻隊の生き残りで戻っており、自分の心の置き所を求めて毎夜苦しみながら飲み歩いていました。人は何故このような辛い経験をしなければならないのか、縁というには余りにも辛い。登場人物は皆善人ばかりです。しかしそれにもかかわらず、過去の思い出は全て夢なんだと自分に言い聞かせなくては生きていけない人達です。 このように書くと、とてつもなく陰気な作品であるかのように聞こえるでしょうが、不思議にそう言う感情は湧きません。四国遍路の地と宿、そこで邂逅した人達の弱者に対する優しさに、背景に描かれた風景と雨が重なって、読者の私は目頭の熱くなる思いを持って読みました。かつては「お遍路さん」といえば何かしら人生に訳ありで、御大師様の救いを求めて歩かれた人が大半であったように聞いています。そのような時代を背景にして、弱者同士の心温まる交流が描かれています。現代はお遍路さんの正式な装束は何かしら格好良いユニフォームのように捉えられがちです。それはそれで良いとして、本来は覚悟の装束であったことに思いを馳せながらこの作品を読んでも良いように思います。 隠れた背景に般若心経を感じると共に名作であると思います。 |
足摺岬 |
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