《私の本棚 第175》   平成23年10月号

    「千思万考」  黒鉄ヒロシ 著

 新聞に掲載される書評を読んで読書意欲をそそられる場合がある。この本もそんな一冊です。明治までの時代に活躍した有名な人物36人を著者なりの解釈で記述しています。著者なりのとはいえ、数多くのマンガを描くためと自身の人生観から多くの書物を読まれ、人物像を描いておられます。マンガを描くのが本業ゆえ、取り上げた人物を挿絵風に描いているのも楽しさを倍増します。

家康---家康を代表する「忍耐」も部分的には必要であったろうが、エネルギーの専らは 「積極果敢」。 一面は 「大量殺戮者」 である。鳴くまで待ってなどいられようか。合戦中の家康は 「かかれ! かかれ!」 の絶叫とともに、拳で鞍を叩き続け、血だらけにした指先にタコをつくったと伝わる。「人の一生は----」 に騙されてはならぬと。

明智光秀---世界に暗殺事件は多いが、「本能寺の変」 ほど体制全体に影響を与えてひっくり返した例はない。シーザーとケネディのケースでさえその死にによって国全体の行政機構が乱れることは無かった。暗殺後は秀吉から家康へと政権は移り、特に徳川三百年の政治は日本人の心の背骨を形成した。本能寺の変後の光秀の不手際は、いっそよくやったと褒めてやるべきで、公 (暗殺) を優先させた結果、私 (天下取り) がおろそかになったのは、まさに魔の刻に身を置いた者にしか判り得ない闇の話。

勝海舟---明治維新における死者数、アメリカ南北戦争、フランス革命に比して8240人。江戸城の無血開城なくば違いなく大幅に増えていた。今に生きる我々の恩人こそ、勝海舟である。龍馬や西郷は 「維新の扉」 の外側から手をかけたが、海舟は閂を外して内側から開けた。明治34年1月、福沢諭吉は 「我慢の説」 を発表して、幕府と明治維新の双方に仕えた勝海舟を 「変節」 と攻撃した。勝海舟は一度は無視したが、翌年に重ねての反論の催促にこう返答する。

       「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」

---運命を含んだ我が身の出処進退の決断は自分にしか下せず、そのことを他人がいかに批評しようと関係がない。---技あり一本。とまあこんな風に、中々気づかない面を紹介しています。
 
平城京、あんな本こんな本



 平城京



 
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