閑話    「オーラもいろ色」  2010年(平成22年) 正月

 月日の経つのは早いもので、気分転換にと思い投稿を始めたのが平成十三年だったから、これが十回目になる。毎年書きたいと思うことが幾つかあるが、お正月気分で笑えそうな話がいつもあるわけではない。自分が笑えると思っても、読んだ人は全然面白く無いことだってある。まして他へ投稿した文章と同じでは、それこそ笑えない話になる。
 仕事をしながらふと浮かんだ言葉や情景を書き留めたり、休日や見たいTV番組がないときに構成らしきものを考えることがある。このらしきものがくせ者で、一向にイメージが湧いてこない。そうなると自分なりの遊び心や楽しみのつもりなのに全然楽しくない。中々気散じに遊ぶのも骨が折れる。面白い遊びはもっと他にあるのではないかという惑いさえしてくるから始末が悪い。年齢はアラカンを過ぎたけれど、中身はアラフォーにもなっていないようだ。とりとめもなく、ぼんやりとあれこれ考えていると、うまい具合に三木清の名前が浮かんできた。著書「人生論ノート」の中に旅について書かれた箇所がある。日常の旅と非日常の旅を考察して更には人生そのものを旅と喩えていた。芭蕉だって同じ様なことを言っている。何を言っても誰も叱る人のいないことを良いことにして、不遜にも 「私もそう思う」 と書いてしまおう。
 旅というと本当に色々な旅がある。目的も様々だ。グループで賑やかに行く旅、一人静かな旅、二人でふんわかな旅。楽しみを目的にした旅、悲しさを伴った旅。旅の数だけ人生の頁があると言っても大げさではないだろう。
 私は近頃毎年一回、一人旅をしている。ゴールデンウイークかシルバーウイークを利用して旅行する。この旅がまた結構大変で、予行演習をしないと行けないから結果的に一人旅になってしまう。昨年は充実した旅をさせてもらった。その時の見聞をご紹介しよう。
 初日は新潟県村上市、奮発して瀬波温泉で宿泊をした。鮭で有名な某店で鮭の吊し乾しに圧倒されたり、隣の酒屋で日本酒 (お土産) を購入したりと忙しい。因みに私は下戸です。部屋で寛いで居ると玄関がざわついている。浴衣一枚で降りると、町おこしで子供達が太鼓演奏をしていた。狐顔の化粧をしてもらって可愛らしい。しかし五月というのに寒い。風邪をひいてしまった。
新潟、笹川流れ、あんな本こんな本 

 笹川流れ
 翌日からは景勝地 「笹川流れ」 を左に見て進む。鼠ヶ関は是非見たいと思っていた関所だが、国道脇にそれらしいものがあるだけで拍子抜けをした。この関所は奥羽三古関の一つだし、義経記では弁慶が義経を牛馬のように扱って難を逃れた関所なのに惜しい。
 山形県には加茂水族館があった。見学者は少なかったが、いかにも頑張ってまぁすと言わんばかりの、ショータイムの看板内容が微笑ましい。

最上川の出羽大橋からは鳥海山の白い頂きがよく見える。
秋田県の雄物川辺には風車が林立していた。日本海側は強い風が吹くのかこういう景色をよく目にする。
八郎潟は見渡す限りの農地の更に奥にある。潟には20q近い直線農道があるらしい。
青森県、JR五能線に沿って進む。何時間でも座り込んでいたいような景色が続く。雪が降る中で津軽三味線を聴けたらなあと、無い物ねだり。

少し腹が減ったので何か食べるものはないかと物色していると、おらほのめへという巻き寿司があった。それと知って口にしたものの、凄く!あま〜い!。

何事も話の種とばかりに完食した。五所川原市では立佞武多館を見学し、その大きさに圧倒される。
 
五所川原、立ち佞武多、あんな本こんな本
津軽鉄道にメルヘンという響きがぴったりの十川 (とがわ) という駅がある。斜陽館よりもこちらが印象に残った。
十三湖大橋の近くでは、期待していたシジミ汁を飲んだが都会擦れしていた。小泊から龍飛までの国道は竜泊ラインと呼ばれている。突風が吹き抜ける険しい坂道だが、機会があれば何度でも訪れたい気持ちにさせてくれる厭きることのない激坂でした。
龍飛から三厩 (みんまや) 湾に臨む今別を経て袰月 (ほろづき) 海岸高野崎に立つと、来る事が出来て良かったという思いで一杯になり、つい長居をしてしまった。 
平舘 (たいらだて) 海峡近くに蟹田という町がある。太宰の小説津軽に出てくる町だが、ここの蟹田川で何やら漁をしている。話を聞かせてもらった上に、獲れたての白魚までご馳走になった。 青森の町は都会の匂いを持っていた。歩いていると遠くから拡声器の音がする。本州最北の都会でも、右翼が街宣をしているのかと思い野次馬根性たっぷりに足を向けた。次第に様子が分かってくる。祭りだ。青森よさこい祭りの真っ最中。早いテンポの音楽と踊り、観客の拍手と太鼓の音。思い掛けなかったのと大集団の演舞が重なって高揚感に包まれた。
青森よさこい祭り、あんな本こんな本
  独り旅はここで終わったが、是非ご紹介したい温泉がある。青森県深浦町にある黄金崎不老ふ死温泉がそれだ。
海岸の平らな岩場にその温泉は湧き出ている。入浴するのには手順がある。先ず入浴券を購入すると係の人の説明がある。「外の露天風呂をご利用になる場合は、先にそこの右側にある内湯で掛かり湯をして下さい。そこでもう一度服を着て頂いて渡り回廊を露天風呂へ行って下さい。一つは女性専用でもう一つは混浴になっています」 と滑らかな温泉のような口調。
お目当ては海を眺めながら入る露天風呂だ。もう気持ちは海岸へと飛んでいる。なぜって聞く方がおかしい。到着したときに海岸の湯船を見ると、遠目にスッポンポンで年齢不詳の女性二人がこちらを向いて立っていた。もう説明はいいんだけれどなあと思いながらまどろっこしい。説明通りにルールを守って海岸へ向かう。簡単な竹囲いがあり、足下の脱衣スペースには篭と大きな石が置いてあった。脱いだ衣類が飛んでいかないようにという重しらしい。湯に浸かって海を眺めると心の皺も伸びるような気がする。とりわけ不老ふ死という温泉の名前が気に入った。風に吹かれながら手足を伸ばす。入っていたのは二十代から七十代くらいの男ばかり五六人だ。
 皆一様に入り口に背を向け、ひたすら日本海の雄大さを堪能している。---ように見える。本当にくつろいだ気持ちになる。ふと、湯の上に出ている禿頭・黒々頭・白髪頭が一様にタオルで鉢巻きをしていることに気づいた。滑稽を超えて仕事では見せないような気合い満々の凄味でオーラさえ感じるではないか。そうか分かったぞ!この湯船が混浴用だということをかなり意識しているな。海を見ているのは仮の姿で、女性が入ってきても俺は絶対に振り返らないぞという意思表示なんだな。しかし後ろから見ていると背中に特大の目ん玉があるように感じますよと言いたい。何だよみんな、間違うんじゃないですよ、と自分のチョットした下心は無かったのかのように棚上げ。
 しかし 、命の洗濯にはなったがお互いに皆、思うほど人生は甘くはなかった。下心見え見えの、仕事ではまず見せないようなオーラもあることが分かりました。
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