《私の本棚 第352》 令和7年7月4日 号 聊斎志異より 「閻羅薨」 蒲松齢 作?著? |
或る人 (某公とします) の父親で、南方の総督を務めていた人が死んでからかなり年月が過ぎていました。ある夜、某公の夢に父親がでてきて情けない顔をしながら頼み事を告げます。かつて旅団長の頃、実戦配備に付く義務のない兵隊を誤って召集し、全軍滅亡した。彼らが今頃になって私を閻魔に訴えたので刑罰を受ける事になると言います。しかも余りにも恐ろしい油釜茹での刑で、死ぬことも無いから正に地獄だと言うのです。 某公はその夢を二度見たのですが、変な夢だとしか考えませんでした。しかし父親が 「捨て置くつもりか?」 と言ったので、明くる日は表通りに気を配っていると、父親が言ったとおりの魏という者が通りかかります。某公は恭しく招き入れて鄭重な挨拶をし、夢の話しをして何とか助けてやって欲しいと願いました。そしてその場に自分も居させて欲しいと重ねて願います。魏は仕方無く許しますが、絶対に音を立ててはいけないと注意をしました。夜になってから某公は魏の居る客間の外で静かに隠れていましたが、父親が牛首阿旁 (牛頭人身の鬼) に刺股で突き刺されて煮え立っている油釜の中に放り込まれるのを見て一声叫んで仕舞いました。すると目の前にあったものが皆消えてしまったのです。夜が明けてから客間の魏を見に行くとそこで死んでいました。 この話しを読んで思い出したのですが、人の死後には極楽と地獄があって、地獄の釜ゆでは大変苦しいのだけれど死ぬことがなく恐ろしい世界が待っていると言うのです。そういう絵巻物も記憶にあります。こんな話しが聊斎志異の中に在るのは仏教が伝来してくる中で、文字の読めない人々にも記憶がし易いように工夫されていたのだろうと思います。 話しは少し横に逸れますが、私は宗教宗派とは無関係に、「あの世」 というものは存在するように思います。あの世は 「人」 だけでは無く、飼っていたシーズー犬を焼いてもらった時に、孫娘 (本人は記憶無し) が反対の空を見てマックちゃん.....?と呼びかけたこと。私たちが可愛がっていた雑種犬に猛烈に吠え立てられたこと等々かなり多くの不思議に遭遇してきました。あの世を証明出来る人は居ませんが、無いと証明出来る人も居ません。それからすれば、地獄には行かないように生きなければいけませんね。 |
![]() 阿蘇大観峰 展望所からの 涅槃風景 |
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