《私の本棚 第164》   平成22年11月号

    「浄瑠璃寺」  堀 辰雄 作

 昭和十八年に大和路・信濃路と題して婦人公論に連載されたうちの一編。高校時代の現代国語の教科書に掲載されており、印象に残っています。馬酔木と山門を融和させて大和路の雰囲気を盛り上げています。浄瑠璃寺の近くには岩船寺があり、恭仁宮と平城京の中間辺りになります。何年頃の造営とも何故別称九体寺というのかということも、歴史や仏教には触れていませんが、それがかえって大和路の匂いが読者に伝わるように感じます。現在の奈良県庁辺りから歩けば片道凡そ7q、夫婦で歩いて訪れ大和路を堪能した様子が読み取れます。この一編が掲載された本の挿絵に色紙のような絵が入っています。よく見ると、山門に向かって左に屋根に被さるようにして木があり、下には馬酔木の花らしきものが描かれています。またその余白には 「或門のくづれてゐるに 馬酔木かな  秋桜子氏作」 と添え書きがあります。これは恐らく、水原秋桜子が昭和九年に俳誌 「馬酔木」 を創刊したことから、秋桜子が詠んだうたを添え書きしたのではないかと思います。つまり、堀辰雄が色紙或いは何かの紙片に手書きしたものを使ったのだと思います。現在の山門横には馬酔木はありません。
 全体の雰囲気は良く伝わって来ますが、近隣市に住む私にとっては寺の娘の京言葉には少なからず違和感があります。川端康成の古都では成功した言葉遣いだと思いますが、浄瑠璃寺は奈良の都で京言葉は馴染みません。

  (管轄住所は京都府木津川市ですが、奈良の観光案内にも掲載されています。)
 
浄瑠璃寺、山門、あんな本こんな本




 浄瑠璃寺 山門
 
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